【木曽義仲ゆかり葵の湯】
木曽義仲は正月末から葵の前を連れて信濃の別所の温泉へ治療に来ていた。
「葵、もうここも飽いたであらう」
「いいえ、飽くなどはおろか、殿とこうして居るならば、いつまでもと願うております。殿は」
「おれか、おれは正直飽き飽きしたな、二十日あまりこう湯浸しでは」
「まあ、わらわの為にさぞお辛そうな。申し訳ない事でございます」
「や、怒ったか、葵」
御湯屋はにわかぶしんだが木の香も新しく湯は湯槽にあふれて清々と流れている。この建物さえ彼女に療養させるために義仲が急に命じて造らせたものである。
(吉川英治著「新平家物語」巻十三より)